Veela ヴィーラ
買い物をしっかり握り締め、ウィーズリーおじさんを先頭にみんな急ぎ足で、ランタンに照らされた小道を森へと入っていった。周辺のそこかしこで動き回る、何千人もの魔法使いたちのさんざめきが聞こえた。叫んだり、笑ったりする声や歌声が切れぎれに聞こえてくる。熱狂的な興奮の波が次々と伝わっていく。
大声で話したり、ふざけたりしながら、ハリーたちは森の中を二十分ほど歩いた。ついに森のはずれに出ると、そこは巨大なスタジアムの影の中だった。には競技場を囲む壮大な黄金の壁の本の一部しか見えなかったが、この中に、大聖堂なら優に十個はすっぽり収まるだろうと思った。
「十万人入れるよ」
圧倒されているの顔を読んで、ジェームズが言った。すると、ウィーズリーおじさんが口を挟んだ。
「魔法省の特務隊五百人が、丸一年がかりで準備したのだ。『マグル避け呪文』で一分の梳きもない。この一年というもの、この近くまで来たマグルは、突然急用を思いついて慌てて引き返すことになった・・・・・気の毒に」
おじさんは最後に愛情を込めてつけ加えた。おじさんが先に立って一番近い入り口に向かったが、そこにはすでに魔法使いや魔女がぐるりと群がり、大声で叫び合っていた。
「特等席!」魔法省の魔女が入り口で切符を検めながら言った。
「最上階貴賓席!アーサー、まっすぐ上がって。一番高いところまでね」
観客席への階段は深紫色の絨毯が敷かれていた。一行は大勢に混じって階段を上った。途中、観客が少しずつ、右や左のドアからそれぞれのスタンド席へと消えていった。ウィーズリー家の一行は上り続け、いよいよ階段のてっぺんに辿り着いた。そこは小さなボックス席で、観客席の最上階、しかも両サイドにある金色のゴールポストのちょうど中間に位置していた。紫に金箔の椅子が並んでいる。たちはウィーズリー家のみんなと一緒に前列に並んだ。そこから見下ろすと、想像さえしたことのない光景が広がっていた。十万人の魔法使いたちが着席したスタンドは、細長い楕円形のピッチに沿って階段状にせり上がっている。競技場そのものから発すると思われる神秘的な金色の光が、あたりにみなぎっていた。この高みから見ると、ピッチはビロードのように滑らかに見えた。両サイドに三本ずつ、十五メートルの高さのゴールポストが立っている。貴賓席の真正面、ちょうどの目の位置に、巨大な黒板があった。見えない巨人の手が書いたり消したりしているかのように、金文字が黒板の上をサッと走っては消えた。しばらく眺めていると、それがピッチの右端から左端までの幅を点滅する広告塔だとわかった。
は広告塔から目を離し、ボックス席に他にだれかいるかと振り返って見た。まだだれもいない。ただ、後ろの列の、奥から二番目の席に小さな生き物が座っていた。短すぎる脚を、椅子の前方にチョコンと突き出し、キッチン・タオルをトーガ風に被っている。顔を両手で覆っているが、長いコウモリのような耳が、何となく見覚えがあった。は急いで隣に座っていたハリーを突いた。
「ハリー、あれ!」
ハリーも急いで振り返ると、驚いたようにその生き物に呼びかけた。
「ドビー?」
小さな生き物は、顔を上げ、指を開いた。とてつもなく大きい茶色の目と、大きさもカタチも大型トマトそっくりの鼻が指の間から現れた。ドビーではなかったが、屋敷しもべ妖精にまちがいない。ハリーとの友達のドビーもかつて屋敷しもべだった。
「旦那さまはあたしのこと、ドビーってお呼びになりましたか?」
しもべ妖精は指の間から怪訝そうに、甲高い声で尋ねた。ドビーの声も高かったが、もっと高く、か細い、震えるようなキーキー声だった。は――屋敷しもべ妖精の場合はとても判断しにくいが――これはたぶん女性だろうと思った。ロンとハーマイオニーがくるりと振り向き、よく見ようとした。二人とも、ハリーとからドビーやシリウスの家にいるクリーチャーのことをずいぶん聞いてはいたが、屋敷しもべに会ったことはなかった。ウィーズリーおじさんやジェームズでさえ興味を持ってふり返った。
「ごめんね。僕の知っている人じゃないかと思って」
ハリーがしもべ妖精に言った。
「でも、旦那さま、あたしもドビーをご存知です!」
甲高い声が答えた。貴賓席の照明が特に明るいわけではないのに、眩しそうに顔を覆っている。
「あたしはウィンキーでございます。旦那さま。――あなたさまは――」
こげ茶色の目がハリーの傷痕をとらえたとたん、小皿くらいに大きく見開かれた。
「あなたさまは、まぎれもなくハリー・ポッターさま!」
「うん、そうだよ」
「ドビーが、あなたさまのことをいつもお噂しています!」
ウィンキーは尊敬で打ち震えながら、ほんの少し両手を下にずらした。
「ドビーはどうしてる?自由になって元気でやってる?」ハリーが聞いた。
「ああ、旦那さま」
ウィンキーが首を振った。
「ああ、それがでございます。けっして失礼を申し上げるつもりはございませんが、あなたさまがドビーを自由になさったのは、ドビーのためになったのかどうか、あたしは自信をお持ちになれません」
「どうして?」
ハリーは不意を突かれたようで、驚いた声をしていた。
「ドビーに何かあったの?」
「ドビーは自由で頭がおかしくなったのでございます。旦那さま」
ウィンキーが悲しげに言った。
「身分不相応の高望みでございます、旦那さま。勤め口が見つからないのでございます」
「どうしてなの?」
ウィンキーは声を半オクターブ落として囁いた。
「仕事にお手当てをいただこうとしているのでございます」
「お手当て?」
ハリーはポカンとした。
「だって――なぜ給料をもらっちゃいけないの?」
ウィンキーがそんなこと考えるだに恐ろしいという顔で少し指を閉じたので、また顔半分が隠れてしまった。
「屋敷しもべはお手当てなどいただかないのでございます!」
ウィンキーは押し殺したようなキーキー声で言った。
「ダメ、ダメ、ダメ。あたしはドビーにおっしゃいました。ドビー、どこかよい家庭を探して、落ち着きなさいって、そうおっしゃいました。旦那さま、ドビーはのぼせて、思い上がっているのでございます。屋敷しもべ妖精に相応しくないのでございます。ドビー、あなたがそんなふうに浮かれていらっしゃったら、しまいには、ただの小鬼みたいに『魔法生物規制管理部』に引っ張られることになっても知らないからって、あたし、そうおっしゃったのでございます」
「でも、ドビーは、もう、少しぐらい楽しい思いをしてもいいんじゃないかな」
ハリーが言った。
「ハリー・ポッターさま、屋敷しもべは楽しんではいけないのでございます」
ウィンキーは顔を覆った手の下で、きっぱりと言った。
「屋敷しもべは、言いつけられたことをするのでございます。あたしは、ハリー・ポッターさま、高いところがまったくお好きではないのでございますが――」
ウィンキーはボックス席の前端をチラリと見てゴクッと生唾を飲んだ。
「――でも、ご主人さまがこの貴賓席に行けとおっしゃいましたので、あたしはいらっしゃいましたのでございます」
「君が高いところが好きじゃないと知ってるのに、どうしてご主人様は君をここによこしたの?」
ハリーは眉をひそめた。
「ご主人さまは――ご主人さまは自分の席をあたしに取らせたのです。ハリー・ポッターさま、ご主人さまはとてもお忙しいのでございます」
ウィンキーはとなりの空席のほうに頭をかしげた。
「ウィンキーは、ハリー・ポッターさま、ご主人さまのテントにお戻りになりたいのでございます。でも、ウィンキーは言いつけられたことをするのでございます。ウィンキーはよい屋敷しもべでございますから」
ウィンキーはボックス席の前端をもう一度恐々見て、それからまた完全に手で目を覆ってしまった。ハリーはみんなのほうを見た。
「そうか、あれが屋敷しもべ妖精なのか」ロンが呟いた。
「へんてこりんなんだ、ね?」
「ドビーはもっとへんてこだったよ」
ハリーの言葉に力が入った。
「でも、クリーチャーの方がもっとへんてこよ。ね?」
は隣に座っていたジェームズに同意を求めた。
ロンは真鍮の双眼鏡のようなものを取り出し、向かいの観客席にいる観衆を見下ろしていた。
「スッゲェ!」
ロンが万眼鏡の横の「再生つまみ」をいじりながら声をあげた。
「あそこにいるおっさん、何回でも鼻をほじるぜ・・・・・ほら、また・・・・・ほら、また・・・・・」
一方、ハーマイオニーはビロードの表紙に房飾りのついたプログラムに熱心に目を通していた。
「試合に先立ち、チームのマスコットによるマスゲームがあります」
ハーマイオニーが読み上げた。
「ああ、それはいつも見応えがある」
ウィーズリーおじさんが言った。
「ナショナルチームが自分の国から何か生き物を連れてきてね、ちょっとしたショーをやるんだよ」
それから三十分の間に、貴賓席も徐々に埋まってきた。ウィーズリーおじさんとジェームズは、続けざまに握手していた。かなり重要な魔法使いたちに違いない。パーシーは、まるでハリネズミが置いてある椅子に座ろうとしているかのように、ひっきりなしに椅子から飛び上がってはピンと直立不動の姿勢をとった。魔法省大臣、コーネリウス・ファッジ閣下直々のお出ましにいたっては、パーシーはあまりに深々と頭を下げたので、メガネが落ちて割れてしまった。大いに恐縮したパーシーは、杖でメガネを元通りにし、それからはずっと椅子に座っていた。それでも、コーベリウス・ファッジがハリーとに、昔からの友人のように親しげに挨拶するのを、羨ましげな目で見た。ファッジとは以前に会ったことがある。ジェームズはとファッジが仲良さげに握手するのを不満そうに見ていた。そして、ファッジは、まるで父親のような仕草でハリーと握手し、元気かと声をかけ、自分の両脇にいる魔法使いにハリーを紹介した。
「ご存知のハリー・ポッターと・ブラックですよ」
ファッジは、金の縁取りをした豪華な黒ビロードのローブを着たブルガリアの大臣に話しかけたが、大臣は言葉が一言もわからない様子だった。
「ハリー・ポッターと・ブラックですぞ・・・・・ほら、ほら、ご存知でしょうが。だれだか・・・・・『例のあの人』から生き残った男の子と、『死者』を生き返らせた女の子ですよ――まあ、今はシリウス・ブラックの娘でも通じますが――・・・・・まさか、知ってるでしょうね――」
ブルガリアの大臣はハリーの額の傷痕に気づき、それを指差しながら、なにやら興奮してワァワァと喚きだした。
「なかなか通じないものだ」
ファッジがうんざりしたように二人に言った。
「私はどうも言葉は苦手だ。こういうことになると、バーティ・クラウチが必要だ。ああ、クラウチのしもべ妖精が席を取っているな・・・・・いや、なかなかやるものだわい。ブルガリアの連中がよってたかって、よい席を全部せしめようとしているし・・・・・ああ、ルシウスのご到着だ!」
ハリー、ロン、、ハーマイオニーは急いでふり返った。後列のちょうどウィーズリーおじさんの真後ろが三席空いていて、そこに向かって席伝いに歩いてくるのは、ほかならぬ、しもべ妖精ドビーの昔の主人――ルシウス・マルフォイとその息子ドラコ、それに女性が一人――はドラコの母親だろうと思った。
ホグワーツへの初めての旅からずっと、ハリー、とドラコは敵同士だった。顎の尖った青白い顔にプラチナ・ブロンドの髪のドラコは、父親に瓜二つだった。母親もブロンドで、背が高くほっそりしている。「なんていやな臭いなんでしょう」という表情さえしていなかったら、この母親は美人なのにと思わせた。そして、やはりブラック家の血筋らしく、どこかシリウスに似た面影があるように思えた。
「ああ、ファッジ」
マルフォイ氏は魔法省大臣のところまで来ると、手を差し出して挨拶した。
「お元気ですかな?妻のナルシッサとは初めてでしたな?息子のドラコもまだでしたか?」
「これは、これは、お初にお目にかかります」
ファッジは笑顔でマルフォイ夫人にお辞儀した。
「ご紹介いたしましょう。こちらはオブランクス大臣――オバロンスクだったかな――ミスター、ええと――とにかく、ブルガリア魔法大臣閣下です。どうせわたしの言っていることは一言もわかっとらんのですから、まあ、気にせずに。ええと、ほかにはだれか――アーサー・ウィーズリー氏とジェームズ・ポッター氏はご存知でしょうかな?」
一瞬、緊張が走った。ハリーは最後に三人が――あのときはシリウスもいて四人だったが――顔を合わせたときのことをありありと覚えている。フローリシュ・アンド・ブロッツ書店だった。三人は大喧嘩したのだ。マルフォイ氏の冷たい灰色の目がジェームズを飛び越え、ウィーズリー氏を一舐めし、それから列の端から端までズイッと眺めた。
「これは驚いた、アーサー」
マルフォイ氏が低い声で言った。
「貴賓席の切符を手に入れるのに、何をお売りになりましたかな?お宅を売っても、それほどの金にはならんでしょうが?」
「アーサー、ルシウスは先ごろ、聖マンゴ魔法疾患障害病院に、それは多額の寄付をしてくれてね。今日は私の客として招待なんだ」
マルフォイの言葉を聞いてもいなかったファッジが言った。
「それは――それは結構な」
ウィーズイーおじさんは無理に笑顔を取り繕った。マルフォイ氏の目が今度はハーマイオニーに移った。ハーマイオニーは少し赤くなったが、怯まずにマルフォイ氏を睨み返した。マルフォイ氏の口元はニヤリとめくれ上がったのはなぜなのか、にははっきりわかっていた。マルフォイ一家は「純血」であることを誇りにし、逆に、ハーマイオニーのようにマグルの血を引く者を下等だと見下していた。しかし、魔法省大臣の目が光っているところでは、マルフォイ氏もさすがに何も言えない。ウィーズリーおじさんとジェームズに蔑むような会釈をすると、マルフォイ氏は自分の席まで進んだ。ドラコはハリー、ロン、、ハーマイオニーに小バカにしたような視線を投げ、父親と母親に挟まれて席についた。
「むかつくやつだ」
ハリー、ロン、、ハーマイオニーの四人がピッチに目を戻したとき、ロンが声を殺して言った。
次の瞬間、ルード・バグマンが貴賓席に勢いよく飛び込んできた。
「みなさん、よろしいかな?」
丸顔がツヤツヤと光り、まるで興奮したエダム・チーズさながらのバグマンが言った。
「大臣――ご準備は?」
「君さえよければ、ルード、いつでもいい」
ファッジが満足げに言った。ルードはサッと杖を取り出し、自分の喉に当てて一声「ソノーラス!響け!」と呪文を唱え、満席のスタジアムから湧き立つどよめきに向かって呼びかけた。その声は大観衆の上に響き渡り、スタンドの隅々までに轟いた。
「レディース・アンド・ジェントルメン・・・・・ようこそ!第四百二十二回、クィディッチ・ワールドカップ決勝戦に、ようこそ!」
観衆が叫び、拍手した。何千という国旗が打ち振られ、お互いにハモらない両国の国歌が騒音をさらに盛り上げた。貴賓席正面の巨大黒板が、最後の広告をサッと消し、いまや、こう書いてあった。
"ブルガリア 0  アイルランド 0"
「さて、前置きはこれくらいにして、早速ご紹介しましょう・・・・・ブルガリア・ナショナルチームのマスコット!」
真紅一色のスタンドの上手から、ワッと歓声が上がった。
「いったい何を連れてきたのかな?」
ウィーズリーおじさんが席から身を乗り出した。
「あーっ!」
おじさんは急にメガネを外し、慌ててローブで拭いた。
「ヴィーラだ!」
百人のこれまで見たことがないほど美しい女性のヴィーラがスルスルとピッチに現れた。ただ、ヴィーラは人間ではなかった。月の光のように輝く肌で、風もないのにどうやってシルバー・ブロンドの髪をなびかせている。
ヴィーラが踊り始めると、ハリーとロンはぽかんと口を開けていた。きっとヴィーラの魔力か何かだろう。は同性なので、効果はなく、ジェームズもその魔力に対抗できる能力があるらしく、落ち着いてヴィーラの踊りを見ている。ヴィーラの踊りがどんどん早くなると、ハリーとロンが椅子から立ち上がり、片足をボックス席の前の壁にかけて、ピッチに飛び降りようと構え始めた。
「ハリー、あなたいったい何をしてるの?」が驚いてハリーの服を掴んだ。
音楽が止み、やっとハリーとロンは正気に戻ったようで、自分が何をしていたのか気づいたようだったが、少しヴィーラの魔力がひいているようだった。ロンは無意識に自分の帽子のシャムロックをむしっていた。ウィーズリーおじさんが苦笑しながらロンのほうに身を乗り出して、帽子をひったくった。
「きっとこの帽子が必要になるよ。アイルランド側のショーが終わったらね」
おじさんが言った。
「はぁー?」
ロンが口を開けてヴィーラに見入っていた。ヴィーラはいまはもう、ピッチの片側に整列していた。ハーマイオニーは「まったく、もう!」と大きく舌打ちした。は未だ名残惜しそうにヴィーラを見つめるハリーの服を引っ張って席に引き戻した。

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ヴィーラに鼻の下を伸ばしたらジェームズはリリーに叩かれますね。